悪いことをすると「バチが当たる」とよく言われます。しかし神道的にいうならば、神罰が下るということはありません。なぜなら人間の行いに直接罰を下すという狭い了見をお持ちの神様は日本にはいないからです。では悪事や不正を行う者には、どんなお咎めがあるのかというと、それは「祟る」(たたる)というお諭が下されるのです。
「祟る」という言葉は本来、呪われるという意味ではなく、守ってくれる神がいなくなる状態のことをいいます。
「祟る」と似ている字に「崇める」(あがめる)という字がありますが、意味は全く違う字です。
「示」という字を使っているところが共通していますが、「示」は神を意味し、山の上に祠(ほこら)を建てて敬うというのが「崇める」で、「祟る」とは神が出る、つまり守護神が出て行ってしまった状態を表しています。守るべき神が愛想を尽かし出て行ってしまったのですから、もはやその人の守りは消え失せ、病気になれば重い病となって苦しみ、事故に遭えばまともに衝撃を受け、不幸のどん底に落ち入ってしまうということになりかねません。
九死に一生を得るとか、患者が死の淵から生還するなどという奇蹟は起きないのです。つまり人は、どれだけ自分をまもってくれるものがいるのか、どれだけ守護神にお守り頂いているのか、どのような守護霊がついておられるかで、幸不幸の人生あるいは生きるか死ぬかの瀬戸際が決まるのです。私たちが神に祈ったり、ご先祖さまのご供養をするということは、この守護神・守護霊のパワーアップとお守り下さる約束を戴くということでもあるのです。